平塚柔道物語その11
平塚柔道協会 理事長 奥山晴治
2007年5月1日

11.平塚柔道物語・その11

ねばりのチャンピオン・女子三羽烏の二人目 塩澤茜

 大野中学校女子3羽鳥の2人目は「ねばりの強さ」のチャンピオン塩澤茜である。 彼女は、大野中学校の柔道部に同学年の青木、仁藤より少し遅れて入部した。 塩澤が100mを14秒代で走るのをみて、「その脚力を柔道で生かしてみないか」と、 体育教師真田州二郎が誘ったのである。

 大野中柔道部と言えば、かなり強くて有名だった。練習のきつさも半端じゃなかった。 そしてこの日を境に、塩澤は柔道という底なし沼にはまっていくのである。

 練習はきつかった。朝練・昼練・腕立て伏せ200回・かけ足トレーニング・放課後の練習・柔道協会の夜の練習等。 何しろ塩澤は休まなかった。こんなに厳しくてもなぜやっているのか。それは皆全国大会をめざしていたからだ。

 良き先輩全国第2位の升水翔兵もいた。塩澤はいう。「最も輝いていたのは真田先生であった。 いつも一緒に行動してくれた。怠けたりすると『出て行け。邪魔になる』と叱咤された。 しかし先生は、自分達の目線でいつも考えてくれた。いろいろ人生のアドバイスもしてくれた。 だから、どんなに厳しくされても頑張ることができた」と。

 その結果、塩澤は個人戦52kg級1年生の部で、神奈川県の大会で優勝。2年生の時は準優勝。 3年では関東大会で優勝と大きく成長したのだ。

 しかし当時女子団体戦では、県では相原中学校が常に優勝を独占していた。 そのため、大野中学校は決勝でいつも負けて2位。2年の時も、3年生の春も決勝で負けていた。

 そして迎えた3年生の夏(平成14年7月28日)の大会で、相原中学と劇的な決勝戦となった。

 チーム3人の戦いで0対0の引き分け。その代表戦には塩澤が出場。なかなか勝負がつかず、 判定だと塩澤が負けると誰もが思った瞬間、奇跡が起こった。わずか12秒前に塩澤が放った背負い投げが、 見事に一本決まったのだ。「優勝だ」と皆が笑顔になったその瞬間何とあの厳しい厳しい真田先生が泣いていたのだ。 それを見て三羽烏も皆泣いてしまった。塩澤も青木も仁藤も!

 「大野劇的な初V・信頼が生んだ背負い投げ」と、翌日の新聞に大きく写真入で報道された。 塩澤のねばり強さの勝利であった。

 その後、塩澤は高校に入っても52kg級で県で優勝。2年生の時に全国第3位に輝いた。

 「自信を失うと青木と仁藤がいつも救ってくれた。多分この二人がいなかったら、 柔道のおもしろさを知らないまま生きていたかもしれない」と語る塩澤の目に、キラリと涙が光る。 現在東海大学のかわいい2年生である。


「信頼が生んだ背負い投げ」と評された優勝決定の瞬間


(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)

戻る