平塚柔道物語その37
平塚柔道協会 会長 奥山晴治
2009年7月1日

37.平塚柔道物語・その37

海外の選手から父のように慕われている空手家 西田幸夫氏

 極真空手の西田幸夫氏(平塚市袖ケ浜)の別名は「鉄人」と言われた。 ウエイトトレーニングで鋼の肉体を作り上げていったからである。 大山門下で、極真の稽古にウエイトトレーニングを正式に取り入れたのは、西田氏の功績でもある。

 大山館長亡き後、国際空手道連盟極真会館の日本代表および世界代表を5年間務めた。 当時、平塚市の自宅に帰るのは、毎晩最終電車であったという。

 1999年12月、2つの代表を辞め、パワー重視の極真空手に中国拳法と柔術、古武道を取り入れ、 生涯武道をめざす極真空手清武会を発足させた。

 国内においては、平塚市の総合体育館で全日本ウエイト制空手道選手権大会(毎年11月・今年で10回目)を、 また全国ジュニア空手道選手権大会(毎年8月)を開催している。

 さらに、国際的には海外セミナーの開催、国際交流セミナー、空手留学生の受け入れ等、 精力的に清武会の技術の普及に努力している。

 西田氏が40歳の時、南米のベネズェラセミナーに招かれた時のこと。 受講生の中にアフリカから留学中の青年(20歳)がいた。彼は「自分の国にはストリートチルドレンが多く、 皆貧しく、その日の生活に事欠く人が多い。そのため、自分の研究部門の仕事を通して、 チルドレン達に職を与えて自立させたい。さらに、教養として空手を教えたい!」と言う。 青年は飛行場まで見送ってくれ、「いつの日か日本(西田氏)を訪ねたい」と語った。西田氏は感動し、 20歳の時の自分を振り返ってみた。昼間の大学と夜の大学、2つの大学に通い、その合間、 本部の空手指導員として働いていたのだが、所詮自分中心の努力に過ぎない。 国の将来や日本の子どものためなど考えた事のなかった自分。「大きな、大切なことを気付かせてもらった」と語る。

 毎年開いている大会には、ロシア、ハンガリー、グルジア、スリランカ、ブラジル等の国から多くの選手が参加している。 彼らの所得は日本の平均の21分の1程度である。日本に来るのは一生に一度の夢である。

 そして、彼の弟子を育成する情熱は、柔道と空手の枠を越え、大いに学びたいところである。

 次号では、彼の最大の魅力を紹介したい。


写真は、清武会ロシア支部で稽古をつける西田師範


(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)

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